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整体療術師
代表 若松 亮
"予防"することが健康への第一歩
"マルトレ"することが健康への第一歩になりますように
1971年2月27日 旭川生まれ(双子の弟として)
北海道立旭川凌雲(現 永嶺)高等学校卒業
埼玉県深谷市 創健舎 柔(養成所)入門
療術会 創健舎 柔 師範代
日本整体学会会員
治療家セミナーけんこうラボ会員
JAA 日本アンチエイジング協会会員
日本アンチエイジング協会認定キュアフェイスマイスター
ビル用サッシ施工技術者 1級
他、建築系の資格多数
柔道 初段
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皆様、初めまして。マルワトレーニングラボラトリー(通称マルトレ)代表の「若松 亮」と申します。
私はH20年3月からマルワ整体院を営んでいます。現在10年目です。
今まで延べ4万人以上の方を施術させて頂いた経験から
「運動」とうい習慣がいかに大切かという事を再認識させられました。
昨今、メディアに取り上げられているような様々な運動法も良いとは思いますが、
「今の自分自身」の「体力」や「状態」に合った運動であるのか?
という意味では皆様あまりよく分からずにいるのではないでしょうか?
無理な運動による体の不調や、ケガを訴える人が増えているように感じます。
また、学生さん達に多く見られる指導者からの無理な練習メニューによるケガも多いです。
昔からの「気合いだ」や「根性だ」などという精神論で指導されている方が
少なからず子供達のスポーツの現場におられるようです。
これでは指導される子供達は大変です。いくら回復力の高い成長期とはいえ体は壊れてしまいます。
子供達はこれから社会に出て「地域」をそしてこれからの「日本」を担う未来があるのです。
指導する大人達も考えを改める必要があると痛感しています。
又、病中・病後の人達にも同じ事が言えると思います。
10年のキャリアの中でこのような「思い」が私の中に積み重なってきました。
体の不調や痛みを軽減させて尚かつ、運動も出来る場を早急に作ることが私の念願でした。
10年かかってしまいましたがやっと念願をかなえることが出来ました。
運動する楽しさを忘れてしまったあなた。
辛い思いで運動しているキミ!
マルトレで生まれ変わろう。
チームマルワはあなたの「なりたい自分」を力一杯サポートします。
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社会に出て
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高校卒業後は進学せずにすぐに働こうと思っていました。
父は大学に進めと言ってくれましたが勉強が嫌いだったので、就職しました。
燃料販売店、不動産賃貸の営業マンと経験してから家業であった「サッシ屋」へと転職しました。
家業の「サッシ屋」とは主にビル用サッシの施工がメインでした。わかり易く言うと木造建築物以外の建物の窓やドアなどを取り付ける仕事です。
12年間「職人」として働きましたが、毎日の現場への通勤時間や冬場の道外への出稼ぎなどとても大変でした。
子供も小さく長時間の運転や長期の出張は妻に大変心配させてしまいました。
が、当時の私は転職を考えてもいませんでした。
家族の腰痛持ちと初めてのぎっくり腰
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母・兄・妻が腰痛持ちで病院に行ったり整骨院にいったりしていましたが、あまり良くならずぎっくり腰など繰り返していました。私自身は腰痛知らずで今思えば腰の痛い家族に向かって冷たい言葉をかけてしまった事もありました。
「またか?」とか「鍛え方がたりんのだ」とか......
そんな時に私自身がクシャミでぎっくり腰になってしまいました。クシャミ1つでですよ(33歳のとき) 「腰痛ってこんなに辛いんだ」と初めて知り、「みんなすみませんでした」という思いとまたこうなるんじゃないかという不安でビクビクしていました。
というのも、兄は21歳位の時に身体がくの字になる程のぎっくり腰になってから、とにかくしょっちゅうぎっくり腰になっていたのです。
私は双子なんですが、兄は何度も何度も繰り返していました。幸い私は1度きりでしたが、同じ遺伝子を持ち同じ仕事をしているのに、どうして兄はこんなに繰り返してしまうのだろうと疑問を持ちました。
そんな時に友人が「整体師」へと転職しました。
整体の良さを体感
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「整体師」ってなんぞや?とあやしい感じが私の印象でした。「整骨院の先生」とは違うの?位しか興味もありませんでした。
友人の仲間が主催する札幌での勉強会に「練習台」として来てくれと頼まれたので、仕方なくついて行きました。
初めてのぎっくり腰以来、痛みはないながらも腰には重だるさがずっとあったので、半信半疑で施術を受けました。
実はこの時施術してくれた先生が後に私の師匠となる先生でした。
「見事に楽になりました」
整体師への決意
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腰だけじゃなく身体全体が軽く、すっきりした感じで「整体師」っていいかもと思った瞬間でした。
札幌での勉強会のあと腰がずっと楽だったのと施術をしてくれた先生の「やってみないか、整体師」の言葉に私の人生が変わりはじめました。
ずっと家業を父と兄とで続けていくつもりだったのですが、違う道もあるのかもしれないと考えるようになりました。
それ程「整体」との出会いは大きかったのです。
自分がこれから養う家族の事、そして自分の将来について初めて真剣に考え、悩みました。
悩んで悩んで2年くらいたちました。
このとき息子は小学校4年生。
彼が中学生になる前のこの2年間が最後のチャンスかもしれないと考え、そして決めました。
「整体師になる」と。
修行の日々
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H18.9.20、埼玉県深谷市「創健舎 柔」という整体院に住み込みで勉強に行きました。
同時に同整体院の養成所に入門して整体師への修業が始まりました。
とにかく大変でした。
いわゆる徒弟制度というもので、師匠がカラスは白いと言ったらカラスは白ですと言うようなものでした。師匠の言葉は絶対です。
35歳になっていた私の毎日はトイレ掃除から始まり、師匠が飼っていた「ウコッケイ」と「チャボ」の世話や、庭木の手入れ・院内の掃除など雑用しかやらせてもらえませんでした。
朝9時の開院の準備を済ませると、夜の10時か11時位までほぼ休みなしで施術(最初の3ヶ月は見ているだけでした)と院内の清掃でした。
師匠と兄弟子と私の3人だったのですが、院内を走り回っていました。
当時は数秒単位で時間の感覚がわかりました。
10kg以上体重も減り(やせて丁度よかったのかも?)日々整体道と向き合う毎日でした。
この時師匠から「整体の事以外考えるな」と言われ、新聞もテレビも見ませんでした。
師匠への感謝
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修業は整体院の休みの日も続きました。
同じ埼玉県下にある整体院と群馬県高崎市にある整体院の先生が私の兄弟子で(他にもいらっしゃいます)、毎週定休日にはどちらかに行って勉強をしていました。
埼玉県の今村先生、群馬県の橋本先生、一緒に働いてくれた中島先生がいなければ私は途中で整体師になることを諦めていたかもしれません。
今はわかるのですが、当時の師匠は本当に「鬼」でした。
今私の元には将来独立開業を目指している松倉という青年がいます。
独立後はすべて1人でやらなければいけません。
それこそトイレ掃除、院内の掃除、受付、会計、事務経理、そして施術です。今なら本当に師匠の気持ちがわかります。
「先生、有り難うございます」
マルワ整体院 開院
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H20.3.29 旭川市永山で開院しました。
オープンから5か月位は本当に暇でした。
家族と親戚の人達が数名来てくれましたが建築屋時代の知人たちは全く来てくれませんでした。
「こんなもんか」と思って落胆したのですが、仕方のない事なので気持ちを切り替えました。
とはいえ、収入がないので妻にバイトすると言ったのですが、その時妻は「そんな時間があるならいつか来てくれるであろう人達の為に、力を注げるように準備しておいてほしい」と言ってくれました。
開院後は本当にぎりぎりの生活でしたが、一切バイトはせずにひたすら勉強していました。
マルワ整体院オープン6か月後
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6ヶ月目に地元の情報誌の中に折り込みチラシを入れました。誰かは未だにわからないのですが、地元の金融機関の了解を得て、ATM機の横にこのチラシを置いてくれた人がいました。
このチラシの反響が想像以上でたくさんの人達が来てくれました。その中から紹介者も増え、新規の方を断らなければならないほどでした。
「自分が学んできたことは正しかった」と涙のでる思いでした。
一年が過ぎた時、兄から「1年もたたないうちにまたサッシ屋に戻ってくるから好きにやらせたらいいよ」とある人に言われたと聞きました。
兄はこの話をずっと言うつもりはなかったそうですが、1年が過ぎ「アキラ(私)も整体師としてこれからしっかりやっていけるだろう」という思いから打ち明けてくれたのでした。
兄の存在
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私は双子です。同じ年の兄がいます。
まぁ、この兄貴は一言でいえば「仕事の鬼」です。
私より4年早く家業を継いでいましたが、21歳の時千葉県幕張市のホテルニューオータニの客室ドア等1000枚の取付工事の責任者として現場に入っていました。
各業者との打ち合わせ、現場での作業ととても大変だったようです。
現在は株式会社マルワ若松サッシ工業所の社長として毎日あちこち走り回っています。(腰気をつけてね~)
父の存在
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今から6年前に父は亡くなりました。病名のつかない肺の疾患で胸腔内に水がたまるのですが、どうしてたまってしまうのか、専門医が診てもわかりませんでした。
「明日かもしれないし、10年後かもしれない(父の寿命は)」というのが、主治医の先生の話でした。
西洋医学的なアプローチで良くならないのならば東洋医学的なアプローチを試してみたいと主治医に相談して私が施術しました。
父は吸玉をすると少し楽だと言っていたので、吸玉をメインに硬くなった体を少しずつほぐしていきました。
現役当時60数kgあった体重は40kg台まで減ってしまい、少しずつ少しずつ体力は落ちていきました。
そしてその日は突然やってきたのです。
病院からの急な電話で母とすぐに父の元に向かいましたがすでに意識はなく、「父さん」という呼びかけにも返事はありませんでした。
1週間後父は亡くなりました。
父から気づかされたこと
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「肺炎でした」 限界まで体力が無くなっていた為、本来高くなるはずの体温も上がらず病院側も予期していなかったそうです。
「父親に対してもっと何か出来たんじゃないか」と自分自身が情けなく、もう整体師をやめようと思いました。
父が元気で兄と私と一緒に仕事をしていた時の親子ゲンカ、兄弟ゲンカがとても懐かしく思い出されました。
家族皆が集まってお酒を飲んでいる時、父は酔うと必ず「お前達にはまだまだ負けん」と言っていました。
その言葉を思い出していた時ふいに亡くなった父が「今のお前の力量はこの程度だったんだぞ」「もっともっと精進しなさい」と言っているような気がして整体師を続けなければもっと後悔すると気付かされました。
キレイ事や建前ではなく、もっと人の役に立ちたいという強い思いが心の底から湧いてきました。
運動施設を備えたマルワ整体院新店舗
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H28.10.29 かねてからの念願だった運動施設を備えたマルワ整体院新店舗を新築致しました。
1Fは施術スペース、酸素カプセル(京都大学人間環境学教授 石原先生による)他、2Fはトレッドミル、レッグプレス、ヒップアブダクションから始まり、各界著名人も使っているパワープレートを用意しました。
更に130kgまでのウェイトトレーニングができるバーベルや、有酸素運動にはもってこいのボクササイズ施設(H29.12月中旬稼働予定)もあります。
師匠の言葉
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たくさんある師匠の言葉の中で、私が心に刻んである言葉があります。
「俺たちは最後の砦なんだ」
ワラをもつかむ思いで来る人たちのこれからの人生を明るく、元気に過ごせるように常に100%以上の努力をしなさい。
今日もこの言葉を忘れずに生きていこうと思います。
整体師は私の仕事ではなく「人生」なのです。
最後に
私達は1番じゃないんです。
1番は来院する人の元気になりたいという思いなんです。
そして2番目は家族の応援、サポートです。
私たちは3番目なんです。
私達にできることは、ほんのわずかな事でしかないんです。
だから精一杯頑張るんです。勉強するんです。
これが私の、チームマルワの信念です。